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被災地と私

2011年3月11日、東日本大震災が起きました。 それから2年。私たちは全国心理業連合会としてチームジャパン300という被災地支援プロジェクトを立ち上げ、釜石市、宮古市、石巻市、相馬市など心のケアの活動を続けています。

私にとって災害カウンセリングといえる被災地での活動は、17年前の阪神淡路大震災にさかのぼります。すさまじい未曾有の災害といわれた阪神大震災。私は地元大阪で被災しました。たくさんの友人や知人、大切な人たちの壮絶な姿を、その後、目にすることになりました。

あの当時、それを目撃した日本中の誰もがそう思ったように、私も何かしたい、何かしなければという気持ちに駆られていた一人でした。
私には幸いなことに心理カウンセリングというスキルがあった。そして私の呼びかけとともに現地に入ってくれる仲間もいた。その後、200名以上のリスニングボランティアと称した仲間たちは、阪神地区の広い範囲に行くことになったのです。

あれから17年。もう二度とありえない、といわれていた災害は、東北地方を中心に再び起こりました。日本中が大きなダメージを受けました。みんなの心が苦しくて叫び声を上げているようでした。

あの時もまた、日本中の人がそう感じたように、自分も何かしたい、何かしなければ、という思いで、私も突き動かされただけにすぎません。

阪神淡路大震災を経験した私にとっては、ただ現地に行き、自分たちで出来ることを探し、心のケアを必要としている人たちのそばに行く。それはごく自然な行為でした。
「ボランティアをやっている」だとか「特別にいいことをしている」という思いがあるわけではありません。

私たちチームジャパン300で2年間で活動したボランティアは1,000人以上にわたります。200か所以上の避難所を回り、たくさんの地域に行きました。2011年はたくさんの避難所を回り、たくさんの地域に行きました。たくさんの出会いがありました。たくさんのお話を聞きました。

どこからかお金が出るわけでもなく、助成金や支援金で行っているわけでもありません。毎週被災地に向かう交通費は、自分たちの働いたお金の中から捻出していました。それもまた私の阪神淡路大震災の経験が大きく影響しています。
阪神淡路大震災を経験し、火事で一面真っ黒に焼けた場所に立った時、私は今までの価値観が大きく変わっていくのを感じました。
それまでの私は、ごく平凡な思考の持ち主で、将来は結婚して、家族を持って、家を建てて、それが幸せとありきたりに思っていたのです。
でも、すさまじい大災害の場所にたった時に、こう思ったのです。

「家なんか建ててもしょうがないかもしれない。ものなんてどれだけのものでも消えてなくなるんだ」と。

そのころから、ものを買い込んだり、高価なものを手にすることには、今まで以上に興味がなくなりました。
それよりも、一日一日を大切にし、自分自身が充実し、「幸せに生きること」について考え始めたのです。

今、私が毎月東北地方に行っているのも、根底には「自分のわずかな月々のお小遣いを、ものを買ったり、おいしいものを食べたりするために使うのもいいけれど、でも、私を必要としてくれている人たちがいるのなら、そのお金で東北に行って話を聞いてくるのもいいのではないか」という考え方があります。

それは、私にとって自分自身が大切な何かをいただける大事な休日の過ごし方なのです。「たくさんのカウンセラー達が、自分で交通費を支払って被災地に行くなんて、そんな活動、1年も続いたら奇跡ですよ」と、2011年の当初、あるメディア関係者に言われました。
あれから2年。私たちはまだ活動を続けています。そしてもっと活動を増やして行こうとしています。

先週も、とある市に依頼され、遺族会の「心のケア」に行ってきました。
みなさん、今まで苦しく、向かい合えなかったことがようやく向かい合えて、少しずつ涙とともに話ができ始めてきた。「ここまでくるのに2年かかったんだな」と思わずにはいられませんでした。

こういうことは、被災地以外の人たちは知らない。もしかしたら、被災地の人ですら、この人たちの深い思いを知ることはなかなか難しいのかもしれない。そう思った時に、私たちが何か伝えなければいけない、と感じて2013年3月7日に東日本大震災心のケアシンポジウムを開催することにしました。

心のケアの活動は、ここまでで終わりとか、これで十分という線引きはありません。
国が作り出す仕組みだけでは十分ではないと感じることがたくさんあります。この日本に生まれて、人と人とが関わることに喜びを持つ私たちに、もっともっとできることがある、今でも私はそう思っています。

2013年3月11日を迎えて、また被災地に呼んでいただく依頼のお手紙が届きました。
被災地は、もう私にとって故郷のような感覚です。実家に帰るよりもはるかに高い頻度で訪問していますし、現地には誠実で素朴で、そして一生懸命に生きようとしているたくさんの人たちがいらっしゃいます。私にとっては第二の故郷になりつつあります。

被災地に行くことは、つらいことでも、義務でも、単なる使命感だけでもなく、自分の大切な人に会いに行く、そんな感覚で被災地に向かいます。そして今回の2年間の心のケア活動は、私たちにとって大切な人を作り出してくれた、そういった側面もある。
だからこれからもずっと、なお、私たちはしっかりとそこに向かって活動していけるのだと思います。

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